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執筆者の写真畑中茜

高校時代



"僕らの夜"

lyric&music:畑中茜


この曲は、数年前に社会問題として取り沙汰された、SNSを通して発せられる若い人たちの、自ら命を断ちたいという悲しすぎる声と、それをビジネスや犯罪に利用してしまう大人がいるという実情を知って、書いた歌でした。


その話を聞いて、私も自分の高校生時代を思い出していました。その頃は精神的にも不安定な時期が続いて、今よりも15kg以上痩せていました。


ごくごく普通の家庭に育ったのだけど、人並みに、本当に人並みに家庭内では色々なことがありました。そんな中で徐々に孤独を感じて、食べ物に依存するようになった自分に気づいて、食べることが怖くなってしまっていました。


食べ出したらまた、心の穴を埋めるように、ひたすら食べてしまうから。だったらもう、食べないほうが楽だと思っていたような気がします。


私は半年もせず、誰の目に見てもわかるくらいに痩せ細ってしまいました。でも、私には、そんな私のことを真剣に悩んでくれる大人たちがいました。


高校の保健室の先生は、私のことをいつも気遣ってくれて、病院を紹介してくれたり、母と手紙のやりとりをしてくれていたりしました。母も当時、ぎくしゃくする私との関係に悩んでいたと思います。


担任だけでなく、教科担任にもなったことのない先生までもが、私を見かけると、大丈夫なの?と、声をかけてくれました。他のクラスの担任の先生にも、私の担任がいつも茜が茜がって心配してるよって、教えてくれました。


みんなが心配してくれて、早く立ち直らなきゃと思うんだけど、それでも食べ物が目の前に来ると、怖くなる。そのうちみんな、私のことを見放して、呆れられちゃうんじゃないかと思ってた。でも先生たちは、そんな私を変わらず見守ってくれていました。


私自身は、体は痩せ細っていくし、食べ物が怖くて食べられないという悩みは抱えながらも、みんなの前では元気でよく喋る、いたずら好きの子供っぽい女子高生でした。今思えば、そんな自分を演じてたのかなとも思うけど。


高校の友達とは、校庭でシャボン玉をしたり水鉄砲で遊んだり、帰宅部だったのに夜、色んな部活が全部終わっても、教室や裏庭で遊んでいて、校内放送で校舎締めるから出なさいって先生から連絡が入ることも。


私は寂しがり屋で、父とも母ともうまく接せないから家に帰りたくなくて、それで親しい友達の前ではよく泣いてたから、友達はよく、そんな私のことを抱きしめてくれた。


私の高校生活は、みんなに大迷惑かけて、心配もかけて、世界が自分中心に回ってると思ってたんじゃないかってくらいに、わがままを振りかざしたと思うけど、先生たちも母も友達も、みんなが私に粘り強く寄り添って、信じてくれたから、今の私があるのだと思います。本当に、自分の過去の傍若無人っぷりには、ただただ申し訳なかったなと思うけど、すごくすごく、本当に感謝もしています。


だから私は、今、人のために生きたいって心の底から思える人間になれたし、自分のことで願うことがあるとすれば、本当に、音楽を通して社会に貢献できる人間になりたいと、ただそれだけしかない。


それだって、大そうな願いかもしれないけど、私にはソングライティング以外に、なんの取り柄もないから、やっぱり自分が持ってるものを最大限に活かして、世の中の役に立てる人生を送れるのが、一番いいと思ってる。もちろん、それだって、日々命を削る様な努力の積み重ねてをしてのことだから。


今はSNSがあって、自分の気持ちを吐露できるところがあるのは、誰にも打ち明けられない悩みを抱えてる人たちにとっては、救いなのかな、とも思うけど、そうやってSOSを出した時に、抱き締めてくれる人や、一緒に悩んでくれたり心配してくれたりする人は、そこにちゃんといるのかな、と思ったりしました。


でも、私も30代半ばになって、あの頃、10代だった自分を気にかけてくれた大人たちと同じ年代になって、自分はどれくらい、今の若い人たちのことを思えてるかなって思って。現実、相変わらず私は自分の目の前の人生のことで、精一杯かもしれないと思った時に、少しでも、今、SNSを通してSOSを出す、そういう若い人たちの気持ちに寄り添える歌を綴っておきたいと思いました。


そして、そんなSOSを踏みにじるような、大人の振る舞いに、子どもたちがどれだけ失望してるだろう。いつまでも、自分のためにしか生きれない大人も少なくない社会。


あの時私は、そんな現実がひどく悲しく思えて、私自身、同世代やそれより上の世代の人たちと共に、次の世代のために残せる心豊かな社会を築きたいと思って、この歌を綴りました。


でもあれから数年、他にもSNSを通した様々な問題が社会で取り沙汰されて、たくさんの人が少しでもいい社会を築きたいと願いながら、声をあげたり色んな取り組みをする中で、いい方向へ変わっていってる部分もあるんじゃないかと思う。


これからも、社会は絶えず問題を抱えては、悩み向き合い、取り組み、少しでもいい方向へと願いながら、一つ一つを超えていくのかもしれません。解決できることばかりじゃないとしても。それでも、次の世代に残す社会がより良いものであるようにと願いながら、努力していく大人たちはいるのだと。


私もその陣列に加わる大人の一人でありたいと思います。

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